言葉を聞くことと、理解することは別もの。
つくづく思い知らされる・・・
根本的に相手を理解しようとする気持ちがなければ、成立するはずもないものですが。
相手が思いを形にしようとしたもののほんの一部がきっと言葉なのでしょう、
それを聞いた側は自分の知識や尺度でしか理解できない・・・
本当にその通りだと思います。
外国の方々と会話をするとき、お互いの文化や生活環境がまったく違うので、
相手のことを知ろうと一生懸命に努力するし、気遣おうとする。
身近な人の場合でも同じはずなのに、つい疎かにしてしまう。
理解してくれて当たり前だ、理解できているはずだと錯覚し、思い込んでしまう。
きっと世の中の人はちゃんとわかっていて、努力されてるんだろうな・・・
当たり前なことなのに、自分にはかなり足りなかったようです。
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