このNPOを立ち上げるきっかけになったのは、
外国人留学生の日本語の勉強のサポートを高校のPTA活動の一環で関わったことでした。
英語がまったくダメな私は不安でしたが、日本語さえ出来ればと言われ、軽い気持ちで始めました。
いえいえ、正直に話せば、我が子がお世話になっているんだもの、
何か役に立てれば良いか、位の軽さです。
ですが、お国変わればで、眼から鱗のことばかり、
戸惑いどころか、子供と同じ年の子に馬鹿にされたり、
自分の無知さに反省と図書館通い、勉強せねば、知らなければ答えられない日本のこと、
数々の宿題、留学生のF君に驚かされました。
北欧のF君は本当に頭が良くて自分を持っています。きちんと主張もします。
何となくF君と話す機会が多い私、
『北方はどこの国だよ!日本じゃないのか!』と外国人F君に言われ、
『はい、日本の国です』そう答えはするが、
『じゃあ、なんでロシアに言わないんだ!』と言われるしまつ。
こんなこと言われるんだ、、、世界は広く、自分の狭さも知らされました。
日本語の深さや、日本の良さを、外国の子供に教わり、日本を見直す機会を与えられました。
人と人が関わるのに共通言語より、眼と眼、思いと思いだと知りました。
本当に全ての命は等しいと。
文化に違いはあっても、上下はありません。
人の成すこと文化、まずは知ることから始まりました。
F君に『原爆についてどう思う?』そう聞かれ、
初めて、自分と日本人としての2つの考えを巡らせました。
被爆国日本が世界に発信し続けなくてはいけない、原爆は不要だと、本当にそう思いました。
そしてF君は『戦争には見方が向こう側とこちら側がある、第二次世界大戦は日本が悪いわけじゃない、ロシアと隣接してる僕たちはそう思ってる』そう話してくれました。
プライドが高く、いつも強気で、本当に頭のいいF君ですが、
帰国が近づき、私は思い残すことがたくさんありました。
いろんな思いを抱え、朝6時の関空発東京行き飛行機に乗るF君を、朝5時から空港で待ちました。
出発が朝早いため、誰も来ないと思っていた彼が、空港で私を発見した時の驚き。
お土産にと買った2000ピースのジクソウパズルを渡すと、
パンパンのスーツケースに押し込めてくれました。
いつものスマートなF君ではなく、本当にジーンとしました。
日本で買ったお気に入りのジャケットがよく似合ってるよとほめると、
ポーズをとってくれて、『いけてるだろ?』といつものF君です。
ゲートで最後の別れの時、私はハグがどうも苦手で照れてしまい、
出来ないことを知ってる彼は、さっと帽子を取って、頭を出したのです。
本当にびっくりして、頭をなでなで。いつもの彼からは想像できません。
そして顔を上げてにっこり笑いました。
私は泣きそうで、『また、おいで』と言いました。
忘れられない景色が今も眼に浮かびます。
人としての誇り、日本人としての誇り、教えてくれたF君、言葉にならない思いがいっぱいです。
(万事屋 サードサポートプロジェクトより)